《きたかみ第55号:東京支部からの寄稿》
レーザを学んで
幹事:東京支部H4電子  加 瀬 貞 二
レーザという言葉は当然大学に入る前から知ってはいたが、20世紀最大の発明とも言われるこのレーザが一体何者なのかということを真剣に考えたのは、大学4年になって齋藤先生の研究室に入ってからである。当時、研究室では銅蒸気レーザの研究をやっていて、銅の化合物を使用し低温で銅蒸気を得ることや、他の原子を添加することで効率を上げる実験を行っていた。学生の手作りの装置で、自然界には無い独特の単色光を放射させるレーザの発振実験は、レーザの発振原理もろくに分からないのに、なぜかレーザのことを分かったかのような気にさせてくれる、とても興味深いものだった。
 大学で多少の知識を得たことで、就職してからもレーザを開発する部門を選んだ。最初に係わった仕事はヘリコプターから送電線と樹木との距離をレーザで測定する装置である。電力会社と共同で、電線や樹木の反射特性を評価し、測距精度を向上させる電子回路などを開発した。
この仕事が一段落したところに、転勤の話が飛び込んできた。茨城県東海村にある日本原子力研究所(現、日本原子力研究開発機構)へ行き、外来研究員として超短パルスレーザの開発に従事するというものである。当時レーザの世界ではパルス幅が数フェムト秒という超短パルスレーザが注目を集めていた。レーザ光のエネルギーをフェムト秒という短時間に圧縮することで、ピークパワーがテラワットを超えるレーザパルスを実現し、高光電場での物性研究が行われていた。そして、ここに在籍した間に、同様の技術では当時世界最高出力となる100テラワットを超えるレーザ開発に携わることができた。レーザのことが、なんとなく分かってきた時期でもあった。
    外来研究員としての任務を終え、元の職場へ戻り、さて次はというところに待っていたのは「宇宙」だった。現在後期ミッション中の月周回衛星「かぐや」に搭載されたレーザ高度計「LALT」の開発が真っ盛りの頃である。
プロトタイプモデルの評価がトラブル続きで、メンバーが疲れ切っていたところへ主担当として加わった。LALTは衛星から月面までの距離をレーザで計測し、1年間月を回ることで月全体の詳細な地形データを収集する。この地形データは、月の内部構造やこれまで未知であった月の極域の研究に使用される。そしてこの研究を進めていたのが奥州市にある国立天文台水沢観測所のメンバーだった。自分と岩手との妙な縁を感じたものである。 LALTの開発は自分が加わってからもトラブルは続いたが、なんとかフライトモデルを完成させた。完成してからは順調で、衛星システム試験、ロケット打ち上げ、そしてついに月周回でレーザを発振させることができた。このとき、初めて今までの苦労が報われた気がした。自分が担当してから8年後にやっとである。かぐやの運用室で天文台のメンバーと行ったレーザのファーストショットは、自分の社会人生活で最も印象深いものとなった。 岩手大学でレーザを学び始め、レーザをキーワードにいろいろな経験ができた。今後もレーザを学び続け、様々なレーザ装置を開発していきたいと思う。