《平成22年度総会講演》
東京から見た岩手
澤藤隆一(昭和47年電気卒)

 私が卒業した昭和47年当時、岩手県内の就職先といえば教員、東北電力、国鉄、電電公社、大手民間企業は谷村新興製作所ぐらいでした。したがって東京へ行くしかないと思いました。就職担当の一戸英敏先生がこの3つから選べと出した中の2社は電気の大企業ですが、私は当時まだ小さな企業だった千野製作所(現チノー)を選びました。この時代は先生が学生の就職先を指図する時代でした。一戸先生は「ここは君の2年先輩の梅津君が行っている、良い会社だよ」と仰いました。実は私の卒業研究テーマは「低キュリー温度フェライトコアを用いた精密温度制御」で、電力応用研究室(志田純一先生、関享士郎先生、菊池新司技官)が研究のために恒温槽を購入することになり、田葉井製作所(現:エスペック)のプラチナスシリーズを選んだのですが、納品時添付されてきた取説が温度調節計の千野製作所のものでした。今のエスペックでは考えられませんが、大阪へ電話したら「千野の取説だけあれば十分」との答え。これで千野を知ったのですが、実は選んだ真の理由は月給が高く賞与箇月数が多かったからです。日立、東芝、松下などよりずっと上でした。私は今でもビジネスが精密温度制御ですから、卒業研究のテーマがそのまま38年間続いていて、しかも後輩である長田洋先生の「ザゼンソウ温度制御」アルゴリズムをチノーが調節計に搭載して発売するなど、ずっと岩手大学とのご縁が続いていることをうれしく思います。
 私が同窓会活動に入り込むきっかけとなったのは、仕事で苦戦していたときにお客様の責任者が高校の先輩であったことが判明後、その方の支援で苦境を脱出し、同窓であることがいかに強い絆であるかを身に沁みて体験してからです。今では高校、大学の同窓会活動の他、東京もりおかふるさと会や雫石町友会の幹事などのふるさと活動、平成21年に創設された「在京盛岡広域産業人会」会長としての活動などをしております。

 

この産業人会ができた理由は、岩手大学の在る盛岡広域8市町村の企業がどんどん撤退し、人口も減り、危機的状況にある中で「どげんかせんといかん」という意識からです。この産業人会設立総会のときに岩手大学の藤井克己学長が基調講演をして下さいました。下図はその講演時の引用図です。
  
 この図でわかるように岩手県では平成3年をピークに製造業の事業所数は2/3になり、従業員数も3割近く減っています。1960年代から高度成長した日本は1990年代、2000年代と「失われた20年」を過ごし、中国など新興国の爆発的成長や、韓国やアジア諸国、欧米先進国も成長する中で、ひとり日本だけが置いてけぼりになっています。この間日本は国際貢献の度合いを強め、対外資産も10倍になっています。それなのにGDPは横バイで、円高とデフレで個人所得は減って消費が減退し、少子高齢化、ついに人口まで減少に転じました。しかも2008年9月のリーマンショックは世界同時不況をもたらし、ソブリンリスクがクローズアップされました。今私たちはパラダイムシフトの真只中にいます。現在起きている事象を反転したところに生きる道あり、イノベーションが必要です。

パラダイムシフトとは、
◎20世紀型産業構造の終焉 製造→BRICs
◎資本主義社会→知識社会 情報の重要性
◎グローバル金融経済支配 リーマンショック
◎ソブリンリスク→金融不安 為替 株




◎資源枯渇の恐れ→囲い込み 特に中国
◎世界の人口爆発→食糧、水供給の不安
といった点です。私たちはもはや過去のコンセプトにとらわれていてはいけません。岩手で起きていることは、日本の「地方」に共通しています。唯一の例外は沖縄です。大都市圏への人口移動が起きて、地方の過疎化が進行しています。円高、デフレ、高率法人税によって製造工場は海外へ逃げ出し、高齢者は医療や買い物などに便利なところに引っ越す結果、ウォーターフロントにマンション群、田舎に空き家が増えています。老後を沖縄で、と言う人が移住します。一方地球温暖化で大都市圏のヒートアイランド現象が進み、仙台が年間を通じてもっとも住み易い地域になっている気がします。それが盛岡になる日はそう遠くない気がします。
岩手のアイデンティティは
景観・・・岩手山、北上川、陸中海岸、高原
誇り・・・宮沢賢治、石川啄木、民話の故郷
食べ物・・・山菜、漬物、野菜、海草、鮭、肉
人情・・・忍耐強い、でしゃばらない、親切
言葉・・・内陸:過去形表現、沿岸:関西風
東京と違うところ・・・高層ビル、富士山、金融機関、医師不足、コンビニ、冬の寒さ、夏の暑さ、紅葉や空の色、交通機関
といったところです。岩手の良さを知ってもらい、岩手にヒトを呼ぶ、産業振興を図るための様々な取組みが必要です。
 「在京盛岡広域産業人会」が出来たのは、単に企業誘致という問題だけではなく、観光や農林業、6次産業、再生可能エネルギー利用など、これから求められる産業や技術分野をこの地域で発展させるためのお手伝いをしよう、と言う目的です。同窓会として大学に全面的に協力しようとする中で、岩手大学が連携している盛岡市や盛岡広域8市町村の振興に協力することは当然です。同じ意思を持つ人たちに呼びかけてこの会を作りました。

 

まず現状を視察するために来月現地視察会を行います。私は雫石の出身なので、自分の良く知る雫石ならばどうだろう?と考えて町の施策を調べました。余りにも総花的です。町役場に乗り込んで町長と議論しました。あれも必要、これも必要でしょうが、成果を町民に示すためには「重点志向」が必要です、何をめざすか、ハッキリさせましょうよ、と提言して、雫石のターゲットはこれだと思います、と明確に文書化して指摘しました。日本でも生き生きした地方があります。鹿児島県の『やねだん』集落や大分県の『大山町農協』、活性化した地域に共通なのは「バカと言えるほどの情熱家」が存在し、行政はサポートするだけで、自主性に任していることです。盛岡広域8市町村はそれぞれに地域性がありますが、もっともリソース的に厳しい葛巻町が、町を挙げて振興策を推進しています。すべてに共通するのは、国策である「農商工連携」の適地であり、食品加工への進出も含めて岩手大学を大いに利用すべきという点です。また観光は重要な資源ですし、植物工場、畜産、バイオマスや林業、再生可能エネルギー利用などの面で、いかに情報発信を強めるかという点がこれからの鍵となるでしょう。産業人会の輪はまだ小さいですが、これが拡がって行くと、岩手の良さが見直されて、やがていびつに進行している日本の人口移動が修正されるでしょう。
 岩手大学は農学部と工学部が共存しています。ザゼンソウ研究もそうですが、まさに農工連携に最適な大学で、ここに商の仕組みを導入するために産業人会がお役に立てればと考えます。これからは自動車もモータで動き、分散電源やスマートグリッド、デジタルコンテンツなど、電気電子・情報システムの時代です。岩手の"大地"と"ひと"のために地域に貢献する岩手大学、我等が未来は明るいと思います。ご静聴有難うございました。