盛岡支部平成18年度総会は、平成18年7月8日18時より、盛岡市「エスポワールいわて」に於いて開催されました。出席者は16名でしたが、イベントとして行った「鎌田徳美先生・入江泰先生の思い出を語る会」には、出席した皆様からエピソードを交えたお話があり、和気藹々とした雰囲気で盛会でありました。 総会は長田洋会員の司会で進行し、歳弘健盛岡支部長のあいさつ、佐々木喜八郎科会会長の祝辞のあと議事に入りました。平成17年度は体制固めということで実施事業はなく、平成18年度は本部から支部活性化特別費として10万円配布を受けて、新事業として@HPの開設、A幹事の勧誘、B学生の総会出席会費の無料化、C職場単位での勧誘を積極的に行うものとし、さらに見学会を実施することが承認されました。役員については八重樫啓一理事の逝去(平成18年6月)に伴い、簱福寛氏を理事に推挙し承認されました。 例年では科会総会が東京・仙台で開催された時は、盛岡はお休みで忘年会などを行ってきましたが、支部規則により盛岡支部として毎年支部総会を開催するということで約200名の会員に案内のはがきを出しました。返事が来たのが50通、出席者は16名という惨憺たる結果となりました。今回はイベントして行った「鎌田徳美先生・入江泰先生の思い出を語る会」の企画が若い会員には返って裏目に出たのかなと思っております。 しかし、反省する材料が多々あります。東京・仙台の支部活動に比べて盛岡支部は、本部におんぶして何もしていない状況です。本来ならば支部が活動して本部がそれをまとめるという状況を作らないといけないと思います。今年は新事業として取り入れた改革事業に向かって邁進するつもりです。 |
歳弘 健盛岡支部長(S33気6)の報告です |
鎌田徳美先生・入江泰先生の思い出を語る会
はじめに先生方のお写真、御経歴など30枚ほどを編集したプレゼンテーションを作成し、スライドショーを行いました。
その後座談会形式で、思い出を語り合いました。
鎌田徳美先生の思い出
![]() |
鎌田徳美先生御経歴 |
|
明治35年2月12日 大正8年3月 大正11年3月 大正14年6月 昭和14年6月 昭和16年6月 昭和25年5月 昭和38年4月 昭和42年3月 |
青森県青森市にて出生 青森中学校卒業 仙台高等工業学校電気工学科卒業 仙台高等工業学校助教授 盛岡高等工業学校助教授 同校 教授 岩手大学発足 工学部助教授 岩手大学工学部教授 岩手大学定年退官 退官後青森中央短期大学教授 |
|
表 彰 |
||
昭和42年7月 昭和44年7月 昭和46年4月 昭和46年7月 昭和48年11月 昭和53年11月 |
消防庁長官賞 内閣総理大臣賞 岩手県危険物協会連合会会長賞 岩手県警察本部長賞 日本電気協会「渋沢賞」 労働大臣賞 |
|
叙 勲 |
||
昭和15年7月 昭和19年3月 昭和53年11月 昭和53年11月18日 |
勲八等瑞宝章 正六位勲六等瑞宝章 正四位勲三等瑞宝章 ご逝去 享年76歳 |
山崎時男;昭和14年に盛岡高等工業が発足しましたが、鎌田先生が最初にいらして4月に入学試験を行いました。6月に入学式を行いましたがその時に草刈先生がいらっしゃいました。翌15年春に入江先生が赴任されました。この3人のお先生だけは、その後定年までお勤めになられました。 高木三郎;私が弘前の高工へ就職したとき、他の先生のものは無いのに、何故か鎌田先生のノートだけがありました。そこで先生の真似をして黒板に英語を書いて見ましたら、非常に評判がよく面目をほどこしたことがありました。 山崎時男;鎌田先生は英語に堪能で進駐軍の通訳をされておりました。また、電気製図を担当されており、校章、襟章、校旗の図案化をしました。科会旗も先生の手によるものです。また、先生は温厚で、教育熱心で社会貢献、特に消防では電気火災に大いに尽くされました。 小野寺瑞穂;鎌田先生は博学と云うか、社交的と云おうか、特に当時電気火災の消防関係に携わっておりました。火事があると先生の授業は休講となることが多いので、我々生徒は喜んでいました。また、授業があっても“昨日の火事は”と水を向けると火災の状況を滔々と時間一杯話されるといったことがありました。みな生徒から「鎌ちゃん」の愛称で慕われていました。 佐々木喜八郎;卒業後同級生が集まると、しょっちゅう鎌田先生のお宅にお邪魔しておりました。私どもがお邪魔したとき写真を撮ってきましたが、高級ウイスキーなどで歓迎してくれました。奥さんが綺麗な方でしたね。 細川哲男;私の父が青森中学で鎌田先生と同窓だった関係で、よく可愛がってもらいました。卒業してから正月2日は同級会で集まって、その後先生の家によく押しかけたものです。奥さんが綺麗な人で、また娘さんが3人おりました。それを目標に行ったものですが誰も射止められなかった。先生のお宅へお邪魔したのは、我々だけかと思っていましたが皆さんも行っておられたのですね。 小沢甚一郎;私が昭和51年2月に岩手医大で胃がんの手術で入院していたところ、その1ヶ月後に鎌田先生が膵臓がんで入院された。そこで先生のところへお見舞いに行って「先生、悪いところを切れば、若返って長生きしますよ」と言いましたら先生は非常に喜びましてね。その後秋田の娘さんのところで3年ぐらい入院されていたようです。私が東北電力におったとき、八戸でテレビのサテライトの送信アンテナの前に送電線があって雑音が入って大変でした。そこで鎌田先生のところへ相談に行って、その指導のもとに送電線の金具を溶接で固定したところ、雑音がぴたっと収まり問題を解決しました。これにより東北電波管理局長賞をもらったと記憶しております。 佐々木喜八郎;鎌田先生がスケート国体のフィギュアの県監督だったのをご存知ですか、八戸の第6回のスケート大会で、先生が監督で私が選手でした。 |
入江泰先生の思い出
![]() |
入江泰先生御経歴 |
|
明治41年3月23日 大正14年3月 昭和5年3月 昭和8年3月 昭和8年4月 昭和15年4月 昭和24年5月 昭和35年4月 昭和42年4月 昭和46年11月 昭和48年4月 昭和48年4月 昭和52年11月24日 同日 |
福島県にて出生 仙台第一中学校卒業 山形高等学校卒業 東北帝国大学工学部電気工学科卒業 台南高等工業教員拝命 盛岡高等工業教授で赴任 岩手大学発足同工学部助教授 岩手大学評議員 岩手大学工学部長 岩手大学定年退官 八戸工業大学教授 ご逝去 叙勲 従三位勲二等瑞宝章 |
山崎時男;入江先生は理論家、情熱家でした。盆栽が好きで入江先生のご退官記念に電気科の玄関先に皆で石庭を作りました。今でもありますね。入江先生は初め発送配電をやっておりましたが、トランジスタが普及し始めてから電子工学の方へ移りました。入江先生はテニス、野球などをやっていました。当時盛岡では工専、農専、師範、医専の4校で野球のリーグ戦をやっていました。22年ごろ当時医専が強かったのですが、私が3年生の時優勝しました。その頃入江先生は随分野球に肩入れしていましたね。その後スキーやテニスをやるようになったと思います。 細川哲男;入江先生は声が大きく、いろいろとお叱りを受けた記憶があります。同級生の太田圭一さんから一言言伝がありますのでご紹介します。太田さんが高校の先生になって、電気系の授業を受け持つことになり、4ヶ月間母校へ内地留学した折、入江先生に弱電を教えていただき、非常にその後の授業に役にたったと感謝しております。入江先生はもともと弱電専攻でしたが、赴任当初は強電を勉強しながら教えていたようです。 柏葉安兵衛;入江先生には電子工学を教えていただきました。当時江崎玲於奈さんが「江崎ダイオード」でノーベル賞をもらったのですが、それが発表になってすぐさま、それを入江先生が授業に取り入れて詳細に説明してくれました。翌年私が岩手大学を卒業し、東北大大学院への入試の際にこの「江崎ダイオード」が問題として出題されましたが、お蔭さまで解答することが出来、入学することが出来たと感謝しており、思い出として強烈に残っております。 齊藤 弘;私が卒業研究の時に、入江先生はトランジスタを8個購入して、そのうち6個を卒業研究に使わせてくれました。トランジスタの作動増幅器、直流増幅器の温度特性の改善を研究することになりました。これはNHKの電波が強いと測定出来ず。放送が終わった後の真夜中に測定を行いました。卒業研究はうまく行きまして先生からもよくやったとお褒めの言葉を頂ました。私は一旦民間に就職したのですがまた大学へ戻って教職に就きました。入江先生は大変きついことをおっしゃるのですが、よく面倒をみてくれました。また自宅へも呼ばれてご馳走になりました。ご退官される前に印象深いお言葉は、「家を建てるのは若いうちにおやりなさい。いま私は家を建てるのですが、面倒くさくってこれじゃろくな家を作れそうにない」とおっしゃられておりました。御退官後その家に住まわれて、何年もしないで倒れられましたね。 佐々木喜八郎;昭和23年9月カザリン台風に襲われまして、一関が大洪水により被害を受けたのですが、当時我々学生は応援に行こうではないかと言うことで、体育館に急遽集まりました。このことを聞きつけた学校当局は当惑し、学生を制止すべく入江先生が駆けつけて来られて「学期末試験を目の前にして何事か、君たちは学業を本分としているのではないか、お前たちの情熱はドンキホーテの情熱に等しい。」と一人皆の前に立ちはだかって制止したのでした。結果的には学校の許可をもらい、約一週間一関に救援に行きまして後片付けなどを手伝いました。 太田原 功(欠席でしたが、コメントを寄せてきました)…入江先生の思い出;先生方はそれぞれ独特の雰囲気をお持ちでしたが、鎌田先生は、個人的な話でも黙って聞いて下さる先生、入江先生は理詰めでない話には中々乗らない先生だったように思います。学生の氏名を覚えようとしなかった(お前が何故「〇〇」であるか理由が無いから、が口癖であった)。職員としてお手伝いするようになっても中々私の名前を覚えて頂けなかった。100メートルほどのご近所に住むようになった頃、突然防虫剤散布器を持って来られて、防虫液が余ったからと言い訳をされながら、家庭菜園に防虫剤を散布してくださって恐縮したことがありました。
今回盛岡支部の総会で企画しました「鎌田徳美先生・入江泰先生の思い出を語る会」については、ご案内を盛岡の会員のみに限りました。しかし、全国においでの会員の皆様で、両先生との熱き思い出がある方についてご寄稿を頂き、何らかの形で編集し発刊をいたしたいと思います。ご賛同の方は下記要領でご寄稿下さい。 投稿要領 写真を入れて800字以内(400字詰原稿用紙2枚)出来ればメールにてお願いします。編集時の問い合わせ、校正結果の連絡に大変便利です。 あて先 きたかみ編集部または歳弘 健盛岡支部長 → メール |