平成22年度新会員歓迎会の報告
電気電子情報科会東京支部副支部長 狩野利之
 


 平成22年度電気電子情報科会新会員歓迎会は平成22年3月8日(月)18時から、「岩手大学工学部生協食堂」で行われ、東京支部からは狩野利之副支部長が出席しました。写真は柳橋 好子理事・事務局から送って頂きました。
運営事務局は柳橋 好子理事・事務局、長田 洋理事・事務局、木村 彰男理事・ 事務局。司会:木村 彰男理事

1.開会
2.会長挨拶…柏葉安兵衛会長
 新正会員へのお祝いのお言葉と、工学部内で最大の同窓会で、会員は全国で5000名以上とのご紹介。3月下旬に会誌「きたかみ」が発刊されること、会費納入のお願いなどに続いて、国内・海外で多くの先輩が活躍しており、皆さんもがんばって後輩の面倒を見ていただきたい。儲かったら?ぜひ母校に寄付をしてほしい、とのお話がありました。
寄付については・・・・
 ○人生、余分なお金を持ってもろくなことはない
 ○暮らせるお金を確保したらあとは大学や同窓会に寄付してほしい
 ○大学は幼稚園から高校までと違って直接社会とかかわっているところなので、大学に寄付するということは、広く社会に寄付をするということ
 ○大学では若い方を教育して社会に送り出す、あるいは研究ということを通じて何倍にもして社会のためになる
 ○そして、そういうことが永続の原動力になる。健康に気をつけてそれぞれの場 で活躍していただきたい
との励ましの言葉で結ばれました。


励ましの言葉を述べる狩野副支部長

3.来賓祝辞
[電気電子コース長 藤原民也先生]
 新正会員へのお祝いのお言葉と、工学部の中で電気電子情報科会は名前も?歴史も?最も長い。先輩も多い、とのご紹介。そして、社会に出ると悩みも多いと思う。そんなときは会に出て先輩と話をするといい、とのアドバイスに続き、工学部の本館にある草刈先生の胸像は、電気電子情報科会の卒業生自らが率先して寄付を募り、大学に寄付して作り上げたものであり、工学部にはない仕組みであったとのお話があり、活動にはぜひ積極的に参加してほしい、と結ばれました。
[情報コース長 安倍正人先生]
 安倍先生からは、私ぐらいの歳になり学校を卒業してしばらくすると、非常に懐かしく、また、教員としても教え子が就職して、偉くなって顔を見せてくれるのが楽しみになる。同時に後輩に何かしてあげたいと思うようになり、自分が出た大学が立派になっ てほしいという気持ちが強くなるので、そういうために同窓会があるのではないかと思う。今後も母校のことをよろしく。時々母校に顔を見せてほしい、とのお言葉をいただきました。

4.第7回草刈賞受賞予定者紹介
太田原功相談役から、草刈賞、および受賞者のご紹介がありました。
 草刈遜先生は初代の電気科の科長、そして第四代、第七代の工学部長をされた方で、草刈賞は、その生誕100年をお祝いして作られたものであり、平成15年度の卒業生から表彰している。電気電子工学科、情報システム工学科の両学科より選考してきた。選考委員会が審査をして、工学部長に請求をして、卒業式の日に工学部長から賞状とメダルと、今年から副賞として立派な置時計が贈られる。
  ・石浦 理(いしうら おさむ 電気電子工学科 男、大坊研究室)
  ・川上勝也(かわかみ かつや 情報システム工学科 男 西谷・平山研究室)
  ・工藤舞衣子(くどう まいこ 情報システム工学科 女 明石研究室)

5.第7回草刈賞受賞予定者あいさつ(出席の2名)


石浦理さんと工藤舞衣子さん

石浦理さん:
 バスケットボールや各サークルにおけるリーダシップと海外研修へのチャレンジ精神を評価していただいて、草刈賞を受賞することを大変うれしく思っています。ただ、ありがとうございましたで終わってしまっては、この先が続かない。この4月から社会に出てこの大学生活で得た経験をどのように活かしていくが大事だと思う。そして私がさらに社会で活躍すれば、草刈賞もさらに威厳のある賞になり後々に残っていく。幸いこの4年間でお酒とマージャンは大変強くなった(笑)。この2つを武器にして社会で戦っていきたい。

工藤舞衣子さん:
本日は栄誉ある賞をいただき、まことにありがとうございました。好きで続けていたサークルとボランティアが評価されたり、研究が学会などで評価され、このような賞をいただきびっくりしている。私は4月から進学する予定で、その後も博士後期過程に進学し将来は大学で研究を続けていけたら、と思っており、これを励みにこれから研究をがんばっていきたい。


6.乾杯


最年長 阿部源祐相談役

高専第一回卒の阿部さんからの乾杯のご発声として以下のように科会発足当時のご紹介がありました。


 若干お時間をいただいたので、この会の発足当時の模様とそれからの歩みを少しお話をして、皆さんの今後のこの科会の活動の原点に立っていただきたいと思う。
 私たち高専の第一回生は、いわゆる大戦が始まった昭和16年の12月に3ヶ月短縮して卒業をすることになった。12月26日の年末ぎりぎりに卒業して、すぐ戦地に行った者もいて、そのとき電気科の科長の草刈先生が、”こういうふうに一緒に育った君たちが、ばらばらになるのは忍びない、なんとか同窓会でなくてもいいから、会を作って活動したらどうだ”、といわれて、私たち2、3人で発起人になり、会則を作りスタートすることになった。
 当時、学校当局に相談したところ、同窓会も何もつくる準備もない、いまは同窓会を作らない、とのことで、やむなく電気科だけ作ろうということになり、会則等を準備した。さらにどうせやるなら盛大に発会式をやろうじゃないかということになり、当時、湯田温泉に行って一晩英気を養って出発しようじゃないかと、積立をはじめていた。
 ところが残念ながら、戦争が勃発したので、やはり私たちも当時若気の至りで戦争には協力しようと発会式をやめ、陸軍と海軍に80円ずつ計160円を積立していたお金をそっくり献金して、発会式をやめ、謝恩会のみ盛岡市内で実施した。
 そういうスタートを切ることになったが、一番の問題は、草刈先生は、卒業生だけの会ではいかんと、やはり当時学生と卒業生を一体にした会を作ってくれと、そしてお互いに切磋琢磨してやろうじゃないかと。

 卒業生だけだと、だんだん歳をとって年寄りの考えになる、と。学校当局に交渉したけれども、残念ながら文部省通達で、当時は現在の部活のような、報国団という団体があり、武道とか音楽とか。それ以外に学生は加入してはならんときついお達しがあり、やむなく卒業生35人それから先生が5人でスタートした。年会費ではなく終身会費5円でスタート。
 しかしながら、学生とのつながりは保とうということで、機関誌を出して学生に配布し、何とか学生と卒業生の間を保とうと努力してきた。
 そういうことで発足して、戦争中でありましたが、機関誌を毎年2号ずつ5号まで出してきたものの、戦争の激化によってとうとう6号以下をしばらく休刊せざるを得なかったという事情がある。
 そして終戦後、草刈先生はいち早く会の復活を命令された。何とか会誌6号を出し、新しいスタートをきる。そのときに学生と卒業生一体の会則を作ったが、その後、学生は準会員ということにならざるを得なく現在の規約となる。
 今も私はやはり、学生の方々とともに会を作り、役員を出して一体となって、有効な行事などをやっていかないと、高齢者のみになってしまうと心配している。
 皆さんも今後この会を活性化する方法を良く考えて、末永くこの会の発展を期していただきたいと思う。
 最後に卒業予定の方々、草刈賞受賞予定の方々、おめでとうございます。祝意を述べさせていただき、今後の科会の発展を願って乾杯のご挨拶にします。

新会員の皆さん 女性ももっと増えて良いはず
楽しそう 皆さん同期なんです
新会員にお酌する』齊藤仙台支部長 佐藤匡さんと久保田さんも
大先輩の阿部さんにつがれては恐縮 佐々木喜八郎相談役にお似合いの場面
狩野東京支部副支部長が激励 柏葉会長、及川二千朗さんとともに


7.新正会員歓迎の言葉
  ・仙台支部 斎藤 健  支部長
  ・盛岡支部 旗福 寛  支部長
  ・東京支部 狩野 利之 副支部長

8.中締め
  ・佐々木喜八郎 相談役(前会長)

斎藤 健 支部長 旗福 寛 支部長 佐々木喜八郎 相談役

9.閉会