東日本大震災について 

 


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 震災に関する岩手大学からのお知らせ−−−>クリック(各種情報)
残念ながら、岩手大学の学生にも犠牲者が出ました。心よりご冥福をお祈りいたします。

東日本大震災岩手大学対応報告会
平成23年8月25日(木)16時〜渋沢栄一記念財団渋沢史料館会議室(東京都北区西ヶ原2-16-1 飛鳥山公園内)

岩手大学の「東北地方太平洋沖地震岩手大学被災学生支援募金」にご協力下さい

岩手大学同窓会連合の被災学生義援金にご協力下さい

岩手大学工学部一祐会の被災学生義援金にご協力下さい

5月20日現在、機械系が最高額、電気電子情報系が最低額とのこと、

皆様何とぞご協力のほど、お願い申し上げます

柏葉会長より・・・岩手大学、同窓会連合、一祐会それぞれの募金の口座が違い、タイトルなどにも若干の違いがあって別々のものという感じを受ける方もいらっしゃるかもしれませんが、これらは違ったものではなく、いずれ「岩手大学被災学生の支援」ということで一緒になります。工学部の卒業生としては、一祐会を通じてお寄せていただければと思っています。


  === 柏葉会長からのメッセージ ===

岩手大学電気電子情報科会会員の皆さま
 2011年3月11日(金)午後の地震は、経験したことがない非常に強くて時間が長いものでした。
そしてこれによって生じた津波によって、青森から関東までの太平洋沿岸で広汎な地域にわたって非常に大きな被害が出て、それが日を追って犠牲者が増え続け、皆様 テレビなどで目にするような惨状が続いています。被災された会員も沢山いらっしゃるのではないかと心配しています。
被災された方々に心からお見舞いを申し上げます。
また、各地の会員の方々からは盛岡や母校をご心配して、お見舞いのメールやお電話をいただいておりまして、有り難く、厚く御礼申し上げます。
盛岡では停電、断水、電話の不通が続いていましたが、14日朝にはほぼ全面的に復旧しました。母校岩手大学の被害の詳細はまだ分かりませんが、電気系工学科では 建物の亀裂、暖房装置の破損などいくつかのトラブルがあったようです。
しかし教職員、学生とも無事で、人身事故や建物の損壊など、大きな事故はなかった と聞いておりますので、ご安心下さい。それにしても研究室内の後片づけ、実験装置の復旧などに少し時間がかかるかもしれません。
今後まだ大きな余震があると言われておりますので、皆様くれぐれもご注意のうえお過ごしになられますよう、願っております。
先ずはお礼かたがた盛岡の近況をご報告いたします。
 2011年3月14日

岩手大学電気電子情報科会
会長 柏葉 安兵衛



  === 一祐会 渡邊 喬会長からのメッセージ ===

「東北地方太平洋沖地震岩手大学被災学生への義援金」の呼びかけ

 岩手大学では、今回の東北地方太平洋沖地震により、津波で実家を失うなどの被災に遭った学生が、新年度の入学者を含めて少なくありません。そこで、この学生たちの修学を支援するために、工学部同窓会(一祐会)では同窓生の皆さまに、「東北地方太平洋沖岩手大学被災学生への義援金」をお願いすることとしました。
 被災学生に対しましては、一祐会としてできるかぎりの支援を行いますが、皆さまからの募金も、被災学生の修学支援に有効に使わせていただきたいと考えています。なお、募金は、岩手大学の学生支援募金に納め、有意義に活用していただく事とします。
 将来ある学生たちが直面する困難な事態に立ち向かっていくことを心から願い応援する意思を込めて、皆さま方のご協力をお願い申し上げます。
 2011年3月30日

岩手大学工学部同窓会(一祐会)

 会長 渡邊 喬

1. 郵便振替の場合
  口座番号 02320-3-4519
  加入者名 岩手大学工学部一祐会
  備考欄に「被災学生義援金」とご記入願います。
  恐れ入りますが、振込手数料につきましては、ご負担いただくか、振込手数料を差し引いた金額をお振り込み願います。
  期間は、平成23年9月30日まで(第一次集計:5月31日)とします。

2.現金書留、直接持参の場合
  窓口は、〒020-8551 盛岡市上田4丁目3-5
             「岩手大学工学部同窓会一祐会事務局」
                     (岩手大学工学部内)
  なお、募金についてお問い合わせ
  月〜金(9時〜16時)は、事務局 小田島志穂までお願いします。
  電話 019-623-2554


平成23年度一祐会定期総会のご案内

一祐会支部長、事務局長 各位
拝啓 陽春の候、皆様には益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。常日頃より、一祐会の支部活動を支えていただき有難うございます。
このたびの東日本大震災により、被災されました多数の皆様、及びご家族の皆様に対し、謹んでお見舞い申し上げるとともに、一日も早い復旧・復興を心からお祈り申し上げます。
さて、一祐会では、3月28日に臨時理事会を開催し、「東日本大地震における岩手大学被災学生への支援」について、審議致しました。議題のひとつの「平成23年度の総会の開催について」では、総会は開催するが、懇親会・講演会は中止することになりました。また、総会にかかる費用を学生支援にまわすことにし、岩手大学が行っている、「岩手大学の学生支援募金」に納め、有意義に活用していただく事になりました。これに伴い、定期総会時の支部長さんへの旅費も義援金にまわさせて頂くことになりましたので、ご了承ください。
 2011年4月1日

敬具

日時  平成23年5月21日(土)  14:00〜15:00
議題  平成22年度事業報告
     平成22年度決算報告
     会計監査報告
     平成23年度事業計画(案)
     平成23年度予算審議(案)
     その他
場所  「岩手大学工学部一祐会館2階大会議室」
      盛岡市上田4-3-5 TEL:019-623-2554



=== 一祐会事務局の小田島志穂さんからメールありました ===

3月14日11時30分現在の工学部ですが、建物等は大丈夫なようです。みなさん出入りしております。電気・水道は復旧しております。ガスは、点検後復旧の予定ですが、安全確保のため、現在使用禁止となっております。灯油の方ですが、岩手大学全体で、次回の灯油配達の目途がたっておりませんので暖房なしでおります


  === 東京支部長からのメッセージ ===

 電気電子情報科会盛岡支部、仙台支部の皆様には特にお見舞い申し上げます。東京支部でも茨城県は特に被害が大きく、日立製作所など、茨城県を代表する企業も、工場が大きく被災したと言われております。しかしながら東京電力福島第一原子力発電所、第二発電所において、重大な事故が発生し、周辺住民に避難命令が出る中、日立製作所は自らの被災にもかかわらず、現地に社員を派遣し、後方部隊も24時間体制でバックアップに当たるなど、必死の災害進行防止の取り組みを進めております。東芝も同様の取り組みを進め、ほかにも多くの電気関係の企業が、この未曾有の災害の進行を食い止めようと、全力を傾注しております。また東北電力はじめ、すべての電力会社から、原子力関係の技術者たちが、自らの被爆の恐れをも厭わず、手を挙げて福島に向かっています。日本の電力にとって無くてはならない原発をこれ以上悪い状態にしてはならないと、悲壮な覚悟で使命感に溢れて出発したお父さんを、奥さんや息子、娘が「頑張って」と送り出すTV映像を見て、感動いたしました。それだけではなく、自衛隊、警視庁、東京消防庁が放水作業を行い、他にも大阪、川崎、横浜などの消防が福島へ続々と隊員を送り込んでいます。東京電力と協力会社も原発への電力供給や冷却設備復旧のため夜を徹して全力で作業しています(2011年3月19日現在)。
 東京電力福島第一原子力発電所の立地する福島県双葉町からは2011年3月19日、町役場ごとさいたま市スーパーアリーナに引っ越すべく大型バス40台が迎えに行って、午後から続々と1200人が到着、最終的には2000人を受け入れるそうです。ボランティアによる炊き出しが始まり、埼玉県もおにぎりや弁当など3食の食事や飲み物の提供も始める方針です。
 埼玉県戸田市は災害時相互応援協定を結んでいる白河市に救援物資10トンを運び、南アルプス市は宮城県多賀城市へ、「目黒のさんま」の縁で目黒区は宮城県気仙沼市へ、品川区は岩手県宮古市へ、また相模原市は岩手県大船渡市へ、トラックで市職員とともに続々とトラックが向かいました。周辺の青森県、秋田県、山形県も、より被災の大きい岩手や宮城、福島などに支援の手を差し延べ、神戸市などかつて被災した地域もいち早く救援部隊を差し向けています。国内のほとんどすべての自治体が支援を申し出て、全都道府県が被災者の受け入れを表明、民間団体や個人の間にも支援の輪が拡がっているようです。また外国も続々と救援部隊を送り込み、米軍も「オペレーション・トモダチ」によって自衛隊と連携し、仙台空港の復旧工事や、花巻空港に日本医師会からの薬品を運ぶなど、救援に力を発揮しています。行方不明者や孤立住民の捜索救助、支援物資の輸送など、空母ロナルド・レーガンを含む強力な支援には感謝、感謝です。
 このような助け合いが見られる中で、首都圏での食糧買いだめや、ガソリン不足など、人々のエゴイスティックな行動も見られます。被害の無かった東海地方より西の企業の中には、被災地域の窮状への配慮も無く、東北のメーカーへ早く製品を納めろと要求する企業もあると聞いております。ガソリン、軽油が無く、運送会社のトラックが走れないことが実感できないのでしょうか。東京電力管区では東京23区を除く周辺地域で計画停電が実施されています。これが企業に与える影響は甚大です。国家の危機に相対して、皆が節電に協力しなければなりません。早期に計画停電や、それ以上に予期せぬ突然の停電の恐れを解消すべく、あらゆる個人、企業が一致団結してまいりましょう。
 2011年3月19日

電気電子情報科会東京支部
支部長 澤 藤 隆 一

  ご無事のお知らせと気遣われる安否

 電気電子情報科会仙台支部の阿部源祐さんから、ご自身の無事と、松島町に住まわれる齊藤 健 前仙台支部長のご無事の連絡がありました。500kmに及ぶ広範な東北から千葉県にかけての太平洋沿岸地域の当科会会員の皆様の安否が気遣われます。利府町、塩釜市、松島町は、隣り合う市町(多賀城市、七ヶ浜町、東松島市)に比べて死者、行方不明者は極度に少ないのですが、これは湾奥に位置するために、津波が来るまでの時間が他より時間がかかったため、逃げる時間があったからと考えられ、被害があったことに違いはありません。東松島市から北に向かって石巻市、女川町、南三陸町、気仙沼市、陸前高田市、大船渡市、釜石市、大槌町、山田町、宮古市の惨状は目を覆うばかりです。また仙台市から南に向かって名取市、岩沼市、亘理町、山元町、新地町、相馬市、南相馬市、浪江町、さらに福島県最南端のいわき市、茨城県の沿岸から千葉県の旭市まで、広範な地域で多数の死者、行方不明者が出ております。家族を失った人の様子をTV映像で見るにつけ、涙を禁じ得ません。逃げられなかった方々の無念に想いを致し、心よりご冥福をお祈り申し上げますとともに、生き残った方を励まし、支援して行かなければなりません。


  仙台の状況

 電気電子情報科会仙台支部の電気工学科10回生(昭和37年卒)の方から、仙台市内の状況が届きました(3月20日)
1)家屋、ビルなど建造物・・・海岸地方の津波被害以外、市内の建造物の被害はほとんど見当たりません。あるマンションは壁に一部亀裂が入ったそうですが、我家では下駄箱が倒れ、タンスが少しずれただけでの被害でした。今回の災害は、地震より津波によるものが大部分のようです。津波被害のあった仙台近郊の多賀城市、塩釜市(報道では瑞巌寺まで浸水)、松島町などは大変な惨状のようです。
2)インフラ関連・・・電気は1週間でほぼ回復、電話は交換機が原因で8割程度回復、水道は全面回復には今月一杯かかるようです。市ガスは供給元の設備が壊滅し、ルートが復旧しても戸別に確認するため2〜3ヶ月はかかる見込みです。地下鉄はほぼ回復し、周辺地域とは市バスで連絡しているので、仙台市内の幹線ルートは確保されています。ただし、ガソリン、灯油はほとんど皆無で、もっぱら自転車と上記の市バス、地下鉄で移動する状況です。
3)生活関連・・・スーパーなど商店が少しずつ開店するようになりましたが、2時間前後並んでの買い物です。寒い中、行列を守っている光景を見ると、日本人の道徳性の高さを実感しています。電気は最悪でも1週間で回復しますので、その間持ちこたえる、卓上ガスボンベ、食糧などの備えが必要のようです。自転車は便利ですが、電動自転車を便乗商法で高く売っている店があり、弱みに付け込む人種もいるものと残念です。
4)その他・・・津波被害のあった地域を除いて仙台市内は整然としています。ガソリンが無いので、車はめっきり少なくなりました。リュックを背負った自転車や歩行者が買い物などの用を足しています。
5)JR、道路関連
@JRは、在来線、新幹線とも完全に×です。線路上に電車や貨物車が止まったままです。踏切に貨物車が止まったまま道をふさいでいるところもあります。通行止めで遠回りしなければならないので困りますね。仙台駅を始め駅舎は閉鎖です。電車線を支持するポール、新幹線ホーム、駅舎内など、設備被害は大きいようです。復旧の未通しは立っていません。
A高速道路は開通していますが、現在は災害復旧車両、高速バスのみで、一般車は通行できません。もっとも、ガソリンがありませんが。首都圏、盛岡、新潟など高速バスが予約制ですが稼働しています。一般道は、津波被害地域を除いて大丈夫のようです。ただし、所々、隆起した場所があり注意が必要です。物資の輸送は、新潟、山形、秋田など横断道ルートを利用しているようです。新潟、山形などのナンバーのトラックが多く見受けられます。



  仙台近辺の災害画像

大地震で七北田川を逆流する津波=仙台市宮城野区の高砂大橋付近(河北新報より)


JR仙石線の車両が東松島市の東名駅・野蒜駅間で津波に流されて脱線した


東名運河が線路に並行し、津波が左下(南)から右上方向に襲った
写真奥側が北西方向だが少し小高くなっている



  仙台訪問記

 仙台に母と弟を見舞ってきました。東北自動車道を車で走ったのですが、まだ応急修理状態で、ところどころ車がバウンドします。それだけデコボコなのでしょう。母の介護施設は宮城野区高砂なので、津波が来て、建物の周囲は海のようになったそうです(上の画像の高砂大橋のすぐ近くです)。電気は11日ぶりに復旧しました。施設長さんと話したのですが、停電して、最初のうちは救援物資も来なかった中、蓄えの食料を皆で分け合いながら、ヘルパーさんたちが夜通し入所者を励ましたとのこと。東京の本部の方から救援隊が車に物資を積んで届けてくれて助かったと言っていました。その後はパキスタンのカレーとか東京のラーメン屋さんたちが炊き出しに見えて、本当に有難かったと言っておられました。ヘルパーさんたちはどんなに大変だっただろう、と考えると、職員の皆様に本当に有難うございますという気持ちです。
 泉区八乙女の弟のマンションは、新しいのに、ひび割れ、剥離で大変なことになっていました。7階なので揺れがものすごかったらしく、テレビは全部壊れ、ピアノが倒れ、地震対策の突っ張り棒をはめた家具すら倒れ、天井の板が落ちていました。隣の仙台市営地下鉄八乙女駅が大変なダメージで、台原駅より北は5月まで地下鉄が走らないそうです。地下鉄の地下を走る部分は大丈夫でしたが、線路が地上に出たところが被災したとのこと。都市ガスがダメで、炊事は卓上コンロと電気、風呂は山形県の天童の温泉に、と言っていました。食料とかガソリン調達のために山形まで行かなければならないというのは、冗談ではありません。話には聞いていたものの、仙台のガソリンスタンドは皆閉まっていて、たまに開いているところは「緊急車両のみ」というところばかり。工事車輌が行き交い、全国から夥しい数の災害復旧の車が来ています。東北道は自衛隊、消防車、救急車、建設業のトラックやパワーショベルカー、ガスや水道の車などが、続々と北に向かっていました。産廃処理業のトラックが列を成し、屈強な男たちが頼もしく思えました。官民挙げて被災地の救援、復興に向かっていることを大変有り難いことに思いました。
2011年3月27日

 なお私は岩手県雫石町で生まれ、母の実家は岩手県宮古市の鍬ヶ崎で、TV画像で観光船がドンと居座っていたところです。母の実家はもちろん、いとこたち3人の家もすべて跡形も無いとのこと。今度は宮古へ行ってきます。

電気電子情報科会東京支部
支部長 澤 藤 隆 一



  宮古訪問記
 母の生家が岩手県宮古市鍬ヶ崎下町で、宮古魚市場のすぐ近く、今回の津波ではひとたまりもなく、港町のいとこ達の家々も流されました。今回被災した方々への支援はこれからも長く続きます。どうか皆様が、少しでも節約した分を被災した方々の支援に贈って下さいますよう、心よりお願い申し上げます。
 2011年4月29日(土)、宮古に行って来ました。家を流されたいとこが3世帯にも及び、みんなのところを回るのに少しでも時間が欲しい、また彼らの痛みを少しでも共有しなければとの思いから、月末の締めを終えた後、夜行バスで宮古へ向かいました。驚いたことにものすごい数の若者がバスを待っています。臨時バスが多数増発されています。彼らは皆ボランティアのために行くのです。彼らの会話、所作、振舞いを見て、私は思いました。日本は大丈夫だ、こういう若者たちが居る限り、復興できる、そして、この失われた20年において、若者に冷たい社会を作ってきた責任のある我々が、今なすべきことは、こうした若者たちが希望を持てる社会を、今一度取り戻す、いや、作り上げることなのだと。同窓会としても、現役大学生やこれから大学を目指す若者たちにも、支援すべきことが山ほどあり、なおかつ、岩手大学が一定以上のレベルを保ち、社会的評価を受け続けられるように、精一杯努力することが課題なのだと痛感いたしました。

鍬ヶ崎に居座る観光船

 大震災から49日を過ぎて、やっと岩手県宮古市にいとこ達を見舞いに行って来ました。宮古市シーアリーナに避難している同年のいとこに案内を頼み、港町の自宅や、他のいとこ達の住むところを回りました。右上写真はいとこ達の家があったところに居座っていた観光船です。今夏のシーズンに備えてドックでお化粧直ししていたところに津波が襲って流されてきたものとのこと。携帯電話で撮影して、すぐに会社の人たちや親戚、少年野球の仲間たちにメールしました。
 いとこたちの自宅は跡形もありませんが、幸い高台に作業所のあった従兄は、作業所の一角の倉庫に畳を敷いて、奥さんと共に働いていました。船大工ですが、最近では船の注文が減り、浴槽などのポリ成型品を作っていました。お父さんは木工の船を作る腕の良い職人でしたが、時代を見て、「これからは木の時代ではない、プラスチックに転向しなければいけない」と言って成型の勉強をしました。それが40年以上前ですから、頭の進んだ人でした。その後しばらくして後継ぎの息子の反対を押し切って高台に作業所を作りました。「どうせ船の注文が少ないのだから、港の近くでなくても良い」と言ったのだそうです。作業所が出来た直後に亡くなりましたが、「今考えてみると、これは親父の遺してくれたもの、まさしく遺産だ」と従兄は言っていました。今回三陸の造船所はほぼ壊滅したので、もう一度漁業をやりたい人たちから船を作ってくれと頼まれて、そのための成型の型を必死に作っていました。ただ、「二度と低い土地には家を建てたくねんす」と言っていました。
 避難所は自衛隊が来て、お風呂などを用意してくれて、本当に自衛隊にはみんなが感謝していると言っていました。また友人がお金を送ってきてくれるそうで、こういうときに持つべきものは友であると思いました。お風呂の緑色のテントは東京都から贈られたもので、協賛の中に我社の同業の「ネポン」の名前もありました。避難所には全国から衣料中心に沢山の品物が山のように届き、物資は豊富、食事も三食差し入れてくれる企業や団体があって、慰問に来る芸能人も沢山います。生きていくうえで困るわけではありませんが、結局必需品はお金のようです。お金があれば何でも買えますし、それ以上に、仕事がある人や年金生活者はまだ良いとして、働き場や用具を失った船鍛冶のいとこのような人は、これからどうして生計を立てるのかが問題です。今更高価な設備を借金して購入しても、還暦を過ぎてあと何年働けるかわかりません。かといって自営業で、まだ年金も出ません。今は、仮設住宅入居が第一、次は収入の術ということです。支援するとしたら、こうした働くための道具立て、お膳立てでしょう。
 もう一人の従姉は雇用促進住宅に移り住んでいました。夫は民生委員で、近所の老人等を車に乗せて高台へ避難させ、その後に妻を乗せて車で逃げたそうです。玄関には非常持出品をリュックに詰めて、いつでも持ち出せるように用意していたので、通帳も印鑑も権利書もすべて持ち出したとのこと。なんという用意周到さでしょうか。高台から一部始終を見ていました。「津波が、あのように真っ黒いもので、しかも波と言うより、まるで丘が押し寄せて来るようなものとは初めて知りました」と言っていました。波ならば過ぎるを待てば良いが、丘が押し寄せてくるのですからひとたまりもありません、そのド迫力はまさに身の毛もよだつ恐ろしさだったそうです。
 同年のいとこは生涯独身で、東京の大学を卒業後親父の後を継いで船鍛冶になりました。父と弟の位牌を風呂敷に包み、車で逃げました。浄土ヶ浜を見下ろす高台へ行き、浄土ヶ浜を挟んで、宮古魚市場と蛸の浜に挟まれた浄土ヶ浜大橋の上から、両方から襲ってくる津波を見ていたそうです。我が家が津波に流されるところを見ていた様子を聞き、その時の脱力感は想像できるのに、時間の経過もあるかもしれませんが、淡々と話す姿に、余計に秘めた悲しみを思い、言葉を継げませんでした。いとこたちの家があったところにドンと居座った観光船の奥の建物は1852年創業の菱屋酒造店、清酒のブランドは『千両男山』、やはり工場は頑丈な土蔵で残っていました。ただ1階はめちゃめちゃ、報道によりますと、必ず再建すると張り切っているようです。
 浄土ヶ浜大橋の真下に心光院というお寺があり、墓が並んでいます。ここの尾根の鞍部に津波の様子を見に来た人が津波にバシッとさらわれて亡くなったそうです。両側の海からの波がこの鞍部で交差したということは、津波が40m以上駆け上がったことになります。なんということでしょうか。
 とりあえず私にできることは、お金の面での支援だけです。ただ彼らが今後生活を再建して行くのには、長い年月がかかるでしょう。特に他のいとこと違い、同年の船鍛冶のいとこは、支えてくれる家族が居ません。息の長い支援が必要だと肝に銘じました。
2011年5月4日

電気電子情報科会東京支部
支部長 澤 藤 隆 一

観光船の左奥に残った菱屋酒造店の土蔵と醸造所が見える 船鍛冶のいとこ宅の機械とコンクリート基礎は重いので残っていた
流されてきた家1軒分ぐらいの防波堤コンクリートブロック 船大工の従兄宅を眺める船鍛冶のいとこ、自衛隊が片付けて道路確保
中央奥が浄土ヶ浜大橋。この橋の上から手前を見ると右写真 浄土ヶ浜大橋から港町を望む、中央左に観光船、手前は心光院
蛸の浜は海水浴場でもある。防波堤が崩れている。左手前のコンクリートの
巨大塊が流され、左奥に見える日出島が津波で完全水没したそうだ
浄土ヶ浜大橋から見下ろした蛸の浜。日和見橋の橋桁が落下している
写真上部のトンネルを潜ると浄土ヶ浜、地上の楽園である


  東機会支部総会中止のお知らせ

東機会会員各位
 会員の皆様にはご清祥の事と推察申し上げます。
 昨年度の総会で、本年度総会を6月18日に開催する旨決定致しましたが、今般発生しました東日本巨大地震の被害状況が大学の地元を中心に範囲・深刻さにおいて未曾有の惨状である事に鑑み、総会開催準備のタイムリミットである現時点で、中止する事を決断致しました。
 報道される惨状に適切な言葉が見つかりませんが、被災された方は云うまでもなく、御家族・知人・友人が被災された方々に対して衷心よりお悔やみ・お見舞いを申し上げます。
 今後の進め方については、一祐会本部の方針などを受け、仕切り直しをして行きたいと考えていますので、今後とも東機会の運営に御協力お願い申し上げます。

2011年3月18日
      東機会会長 小 松 一 成

  金属物性科会東京支部総会中止のお知らせ

拝啓 皆様にはご健勝の事とお慶び申し上げます。
 さて本年6月18日(土)予定の第49回支部総会・懇親会ですが、この度の東日本大震災の深刻さに鑑み開催中止といたしました。何卒ご理解くださるようお願い致します。
岩手大学では卒業式、入学式を中止し講義の開始は5月9日からとの事です。
被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。

草々 
2011年4月 8日      
一祐会金属物性科会東京支部長 松本 正巳 (K6-S33卒)


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