佐藤 淳先生が瑞宝中綬章に輝きました

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佐藤先生の叙勲を伝える記事 伝達式レポート(柴田隆昭氏寄稿) 花束贈呈 科会総会における佐藤先生挨拶

 

 岩手大学名誉教授・元工学部長の佐藤 淳先生が春の叙勲で「瑞宝中綬章」を受けられることになりました。電気系では一戸先生につぐ叙勲ということになります。29日朝の新聞を見て複数の方から早速メールでお知らせを頂きました。また科会の細川 哲男相談役(元会長)からは、下記のとおり「盛岡タイムス」に掲載された記事を送って頂きました。皆様本当に有難うございます。お祝いの会の企画がありました折にはまたお知らせいたします。記事中にもございますとおり、佐藤先生は敬虔なカトリック教徒として、ご退官後もボランティア活動などにご活躍されております。ますますお元気で、科会の活動にもご参加を賜り、またお導き下さいますよう祈念しております(2005年4月29日)

佐藤淳先生叙勲伝達式 撮影

 既報のように,佐藤淳先生が平成十七年春の叙勲者褒章で「瑞宝中綬章」の栄に浴されたことは、同窓生諸氏はご存じのことと思います。そこで,去る5月23日(月)、五月晴れの都内港区芝公園の一角につい最近出来たばかりの「東京プリンスホテルパークタワー」で「平成十七年文部科学省春の叙勲伝達式」が行われましたので、佐藤先生並びに奥様、お嬢様のお慶びのお姿を拝見・撮影してきました。ここに、ご報告致します。 ところで、我々卒業生一同、特に佐藤先生の薫陶を受けた者共は、先生が何時授賞するのか、先生以上に待ち遠しいような気持ちでした。そこで授賞が新聞紙上に掲載されたところ、インターネット上では、その慶びを分かち合うかのように、E-mailが随分飛び交ったことが何よりの証拠だと思います。小生も澤藤隆一様(電気電子情報科会東京支部長)へメールを発信した一人ですし、同期の江尻弘道君(電気10回卒)からも先生の授賞のお知らせが飛び込んで参りました。 当日は,いつもの出勤時間に合わせて我が家を8時に出ましたところ、芝公園駅には9時40分頃に着いてしまいました。文科省の担当者からは、「授賞者は10時から11時20分までの間においで下さい…と案内してありますので、それまでにはお見えになると思います」とのことであった。待つこと数十分、先生が見えられたので、子供のようにホットしました。 この日は一通り、撮影を済ませたので、先生、奥様とお別れしましたが、本当は何処かで食事等をしながら語らいを持ちたかったのですが、授賞者の皇居参内等があり、かつ日程上出来ませんでした。お詫び申し上げます。 さて,このHPに掲載される画像は、一部、望遠レンズを使用した関係上、手ブレを起し見るに耐えないものもありますので、ご勘弁頂きたいと存じます。多分、先生の「叙勲祝賀会」が盛岡か東京でやろうとの声がありますので、その際には、是非実行委員の一人として加えて頂きたいと思います。

〒270−0144

 千葉県流山市前ケ崎666−24

  柴田 隆昭

(電気10回昭和37年卒業)

 E-mailアドレス: PFB03373@nifty.ne.jp

 伝達式の模様(柴田 隆昭氏撮影)

会場は港区芝公園の「東京プリンスホテルパークタワー」

会場へ到着された佐藤先生ご一家

会場内部風景

中山 成彬文部科学大臣の挨拶 この後大臣から代表者へ勲章授与の後、個別に授与が行われた

勲章を頂いた後、係の女性に、勲章を付けていただく

晴れ姿

この後バスで皇居に向かい、天皇陛下よりお言葉を頂く(2005年5月23日)

 

科会総会にて花束贈呈

平成17年6月11日(土)岩手国保会館で行われた電気電子情報科会総会において瑞宝中綬章に輝いた佐藤 淳先生の栄誉を称え、科会として花束を贈呈いたしました。また草刈メダルも併せて贈呈いたしました。

佐藤先生のご挨拶要旨

 この度は私のためにこのように晴れやかな場をおつくりいただき、電気電子情報科会の皆様に本当に厚く感謝申し上げます。また本日は遠方よりお運びの方もいらっしゃり、たいへん有難うございます。今回叙勲の推薦のお話があったときに、実は私が大変お世話になった樋口盛一学長が叙勲を辞退されたことが頭をよぎりました。樋口先生は厳しく私に助言してくれた方で、私が岩手大学から海外へ研究に赴く折り、悪天候にもかかわらず盛岡駅まで見送りに来てくれたことが忘れられません。その樋口先生が辞退されたものを私ごときがお受けして良いものかと迷いました。しかしながら、叙勲と言うものは、これまで私を支援してくれた草刈先生、諸先輩、諸先生、そして科会の皆様や、家内の支えに報いるものと考えてお受けすることといたしました。

 4月29日午前7時ぐらいでしたか、東京から電話が入り、新聞に叙勲の件が出ている、おめでとうと言われました。それからというもの、次々といろいろなところから電話が入って、なるほどこういうものかと驚きました。岩手日報や盛岡タイムスからも取材の申し出があり受諾しました。岩手日報はインタビューの時間の割りに小さな記事でしたが(笑い)、盛岡タイムスはやや話したことと記事のニュアンスは異なるものの草刈先生のこととか、詳しく載せてくれました。

 5月23日家内と娘とともに上京して会場へ着きましたら、なんと柴田隆昭さんが待っていて写真を撮ってくれました。こういう機会にわざわざ写真を撮ってくれるというのは本当に有難く、感激いたしました。会場では代表の方が文部科学大臣から勲章を頂き、その後個別に頂いてからバスで皇居に向かいました。天皇陛下にお言葉を頂いて、その優しい印象、こんなに感激するものかと思うほど嬉しいものでした。

 私は東北大学から草刈先生に誘われて岩手大学に赴任し、その後も草刈先生のご指導のもとに定年まで全うすることができました。大学院設置も草刈先生の意をうけて奔走し、工学部長になって学科改組に取り組み、やがて私が定年後に博士課程も設置されました。私は母に医者になれと言われ続けながら、親の期待を裏切って工学の道を選びました。大学を終えるとき母は医学部に入り直せと言いましたが私は大学院も工学の道を続けました。岩手大学赴任が決まった時にもまた医者になれと言われました。本当に母は私に医者になって欲しいというのが悲願のようでした。私は自分勝手な人間です。授業でも、今日学生に伝えなければならないことが終らないときはベルが鳴っても講義をやめませんでした。学生の貴重な休み時間を奪ってさえも自分の都合を優先しました。こんな私が叙勲の栄にあずかることができましたのは本当に不思議な、そして有難いことだと存じております。人生の途上で種々借金ばかり積み重ねて参りました私です。この度の叙勲を機に、少しなりとも人生の負債を返済申し上げねばならないと存じております。皆様の本日のお祝い、そして草刈先生の肖像メダルは私にそのための大きな力を与えてくださいました。私が今日あるのは草刈先生、そして皆様のお蔭です。

 本日はたいへん有難うございました。