阿部源祐さんの墓参 

 岩手大学電気電子情報科会の相談役で、科会の創設に関わり、第二代会長を務められた阿部源祐さんが2017年6月17日永眠されました。葬儀は故人の希望により、近親者にて6月19日に行われ、後日「誠に勝手ながら自宅への焼香及び香典・供花・供物等はご辞退申し上げたく どうぞよろしくお願い申し上げます」とのお孫さん名の葉書が届きました。実は2017年の科会総会は6年に一度の東京開催で、アルカディア市ヶ谷で行われた席で、籏福 寛会長や柳橋好子さんから「阿部源祐さんは今年99歳、百寿(紀寿)のお祝いをしなければ」との話が出ておりました。阿部家からのお知らせはその後に届きました。
 その後、岩手大学電気電子情報科会に多大な貢献を賜った阿部源祐さんに感謝の気持ちを捧げたいと籏福 寛会長から呼びかけが有り、科会本部では下記内容の墓参りを行うことを決議し、有志が集いました。
  〇 墓参日時: 2017年11月11日(土)13時30分
  〇 集合場所:菩提寺、輪王寺本堂 前(仙台市青葉区北山1丁目14)
  〇 本堂内での法要は無し、直接墓地にてご供養(読経、供花、焼香)
  〇 終了後、輪王寺の草刈先生と佐藤利三郎先生お二人のお墓にもお参り

輪王寺入り口

曹洞宗 金剛寶山輪王寺

北山には輪王寺含めて五山と称せられるお寺が並ぶ

車の人は裏側大駐車場集合 この看板のある門前にバス停あり
上写真右地図で左上の「裏側大駐車場」の左方向がJR仙山線北山駅、こちらが一番近く、寺井さんはコチラから来たそうです
右下の「至青葉神社」方向へ行くとJR仙山線と市営地下鉄の北仙台駅、こちらはちょっと距離有り、澤藤はコチラから来ました

北山に並び建つ寺は、もともと伊達家の菩提寺として創建された寺で、江戸時代初期、仙台藩祖政宗公の仙台移封に伴って、現在の地に5寺が移されました。京都五山にならって「北山五山」と呼ばれるようになりました。現在では輪王寺を含めて北山五山と呼ぶ場合があります。輪王寺は、嘉吉元年(1441年)、伊達家九世政宗の夫人、蘭庭明玉禅尼の所願により、十一世持宗が、太菴梵守和尚を開山として、現在の福島県伊達市梁川に創建されました。伊達家17代政宗公の仙台入城とともに現在地に移った由緒ある寺です。境内には池泉回遊式庭園(観覧料300円)があり、三重塔を背景にハナショウブやスイレンの花々や、雪吊りの景色など、四季折々の風情を楽しむことができます。

「第36回緑の都市賞」緑の事業活動部門で・・・
「輪王寺の森づくり」が都市緑化機構会長賞を受賞

浦田寛さんのお計らいで輪王寺の受付応接室で休ませていただくことになりましたが、壁に掲げられた額が目に入りました。それによりますと、2016年11月11日(金)明治記念館で開催された「第36回緑の都市賞」表彰式において、「輪王寺の森づくり」が緑の事業活動部門で都市緑化機構会長賞を、曹洞宗 金剛寶山輪王寺とエスペックミック株式会社連名で受賞されたとのことです。受賞理由は、「かつて樹高20mを超える杉並木であった参道が、敷地の下を通り抜ける県道トンネル工事のため、ほとんど伐採された。そこで、生命力あふれる森づくりをコンセプトに参道の復旧に取り組んでおり、その経験を震災復興の森づくりに生かし取り組んでいる」というものでした。
【ホームページでの事例紹介参照】公益財団法人都市緑化機構 エスペック株式会社 エスペックミック株式会社
なお、エスペックミック株式会社の前川社長とは、エスペックの宇都宮時代から澤藤は親しくさせていただいて、様々な現場でご一緒しました。植物工場や、ビオトープ、水辺づくりなど、農業や都市の緑化に携わるその企業姿勢に共感し、あるときは連携し、またあるときは競合して、共に切磋琢磨した仲間であるだけに、この受賞はたいへん嬉しく存じます。おめでとうございます。受賞からちょうど1年のこの日、奇しくも輪王寺で、この額に遭遇したことは、阿部源祐さんのお導きとしか考えられません。


   輪王寺山門と参道


輪王寺の山門 その奥が右;参道

輪王寺の参道 両側に菩薩像が並ぶ 奥から石段を登ると本堂へ

   輪王寺駐車場と三重塔

盛岡や仙台の人はおおむね車で来ました・・・「裏側大駐車場」に集合、籏福 寛会長は電車で来られました
予定では「13時30分本堂前」集合でしたが、浦田寛さんのお計らいでお寺さんの受付応接室を使わせて頂くことになり、
到着した皆さんを温かくお迎えすることができました。齊藤健さん、数藤崇さんはじめ仙台支部の皆さん、有難うございました



2017年11月11日(土)仙台市北山・輪王寺墓参メンバーです


   籏福 寛会長の挨拶

阿部源祐さんの没後ちょうど21週の追善供養となりました



数藤仙台支部長たちが線香の準備をする傍らで籏福 寛会長が参会者の皆様にあいさつ
科会の功労者である阿部源祐さんの墓参、そして追善供養をすることになった経緯を述べられました



   読経

輪王寺僧侶による
その後、参会者が次々に墓前に手を合わせました



阿部源祐さんは奥様に先立たれましたが、今は一緒に眠っておられます

 読経の途中、それまで穏やかだった天気が俄かに怪しくなり、風が吹きすさび、木々の葉を落としました  

 その中でひときわ激しく舞った黄色い葉が柳橋好子さんの足許に落ちました

 そしてうそのように風は止み、また穏やかな天候になりました

 これはきっと阿部源祐さんのメッセージに違いないと思って、この黄葉を持ち帰り、仏壇に供え拝みました 


   太田原 功相談役の追悼の言葉

岩手大学電気電子情報科会の功労者である阿部源祐さんを追悼しつつ、深い感謝の言葉を述べられました
たいへん胸に染み入る素晴らしいメッセージで、阿部源祐さんもさぞ喜んでおられるだろうと思いました







   佐藤利三郎先生の墓参

佐藤利三郎先生(1921.9.23−2011.4.12)はアンテナの権威だけあって、墓地の最も高い丘の上に眠っておられました
お隣が白虎隊の生き残り飯沼貞吉さんのお墓でした。貞吉さんの曾孫 飯沼一虎君は平成5年3月電子卒で当科会の会員です
草刈遜先生の胸像を寄贈された佐藤利三郎先生の一文は  コチラを参照ください


白虎隊の生き残り・飯沼貞吉さんのこと
 鳥羽・伏見の戦いに始まる戊辰戦争では、会津藩の庇護を受けた新選組含めた佐幕派は、無念の敗北を繰り返し、戦争の舞台はどんどん東上、北上してついには会津へと移ります。平成25年大河ドラマ「八重の桜」の主人公“新島八重”は会津藩砲術師範の娘で、圧倒的な勢力を持つ西軍を向こうに回し、難攻不落の名城とうたわれた鶴ヶ城に攻め寄せる相手に、父譲りの鉄砲の腕を生かして、銃を片手に凛々しく勇ましく、まるで「ジャンヌ・ダルク」のように戦いました。1ヶ月にもおよぶ籠城戦でした。
 会津藩では藩を守るために予備軍をいくつも編成していました。その中のひとつ白虎隊は16歳、17歳の若者たちで構成されていましたが、中には16歳未満の子どもながら年齢を偽って参加している者もいました。白虎隊もいくつかの隊で編成されていましたが、有名なのは飯盛山から見下ろした城下の焼ける有様を見て、もはやこれまでと自刃した20人の義士たちですね。
 実は年齢を偽って白虎隊に参加した飯沼貞吉さん(以下敬称略)は生き残ってしまいました。Wikipediaによりますと、会津藩士の二男で、母は西郷家の出でした。会津藩家老・西郷頼母の妻千重子は父の妹です。飯盛山で飯沼貞吉も他の19人に遅れじと、咽喉に脇差を突き立てましたが、死にきれずにいたところを救出されて、手当てを受け一命を取り止めました。その後、新政府軍に捕らわれ、見込みがあるとして長州藩士の楢崎頼三に引き取られました。頼三は彼をふるさと山口(現在の美祢市)へ連れて帰り、庄屋の高見家に預けて庇護しました。会津方にも長州方にも養育していることが知られると不都合が生じるため、飯沼貞吉の母に生存のみを知らせ、自らの家族や知人以外には存在を秘匿したそうです。当初飯沼貞吉は何度か自殺を思い立ったそうですが、ある日頼三は自殺しようとした貞吉に、「今、日本には外国船が押し寄せており、会津の長州のと言っている場合ではない。日本人は団結して国を強くしなくてはならず、その担い手は若者だ。国の役に立てるよう勉強せよ」と諭し、以降貞吉は貞雄と改名して一心不乱に勉学に励んだと伝えられています。逓信省の通信技師として各地に勤務し、日清戦争にも従軍しました。最後は仙台逓信管理局工務部長、日本の電信電話の発展に貢献したとして、正五位勲四等を受章しました。墓は仙台市の輪王寺にありますが、1957年(昭和32年)9月、戊辰戦争九十年祭に当たり、飯盛山にも墓碑が建てられました。


   草刈 遜先生の墓参

草刈遜(ゆずる)先生のお墓は本堂脇の一等地です お隣の墓とは因縁、由緒があるそうです
先生のお墓が建立されたとき(昭和44年7月)はまだ墓地はそんなに広くなかったそうですが、その後墓地が開発拡張され、
草刈家の墓所は今や広大な墓地の入り口となり、周囲も由緒ありそうな古いお墓ばかりです



   解散

当日11月11日(土)は一祐会仙台支部総会がハーネル仙台で行われました。午後4時(講演会)から〜7時(懇親会終了)
そのため仙台支部の方々とは輪王寺本堂前でお別れとなりました
盛岡組はお参り終了後、佐々木良治さんのお勧めで大崎八幡宮にお参りしました
七五三の賑わいの中、国宝の社殿について説明員の詳しい解説を聞いたそうです
日光東照宮の「眠り猫」を彫った左甚五郎はもともと大崎八幡の彫り物師の血筋なのだそうです
東京支部の寺井正行さん、澤藤隆一さんと仙台支部の佐々木良治さんはお金を払って庭園を散策しました




もみじも赤、黄、緑、様々でした


   阿部源祐さんの思い出の画像

一祐会創立70周年記念式典・・・2012年9月16日(日) ホテルメトロポリタン盛岡ニューウィング

電気電子情報系集合写真

柳橋好子さんの姿も見える受付の前で、今は函館在住のS37三浦守先生とS16阿部源祐氏

祝賀会での乾杯…阿部源祐氏(電気16 1回生)


   2012年電気電子情報科会新会員歓迎会は2012年3月8日(月);岩手大学工学部生協食堂
<乾 杯> 阿部源祐さん(電気S16年卒、専門第一回卒業、出席者中最年長)
 これから新たに会員となる皆様に、岩手大学電気電子情報科会の発足当時のいきさつを話して下さいました。大東亜戦争の影響で1941年12月繰り上げ卒業した阿部さんたち工専第1期生が、初めての卒業生として、自分たちで同窓会を作ろうと図りましたが、当時の学校側はそれを快く受け容れてくれませんでした。それならばと、1942年(昭和17年)1月1日に草刈遜(ゆずる)先生に初代会長になっていただいて発足させたという経緯などを詳しく紹介されました。
 草刈遜先生は1951年(昭和26年)まで10年会長を勤められ、この年の7月28日に阿部源祐さんが第二代会長に就任されました。したがって実質卒業生の同窓会長は阿部源祐さんということになります。

科会最長老の阿部源祐さん(S16卒)

最長老の阿部源祐さんと2人の女子学生、その年齢差は科会の歴史と同じ70年


   2011年度電気電子情報科会第3回理事会(新年会)は2012年1月28日(土)岩手労働福祉会館

乾杯:阿部源祐さん
柏葉会長挨拶のとき 山崎時男相談役リードで逍遙歌を歌う


   科会創立70周年記念式典と祝賀会・・・2011年10月29日(土)アルカディア市ヶ谷

壇上の表彰者に下の席から表彰楯を渡す柏葉会長

表彰者を代表して阿部源祐さんの謝辞

表彰楯の外表紙

表彰楯を開いたところ


   2011年度電気電子情報科会総会・・・2011年6月11日(土)岩手労働福祉会館(盛岡)

集合写真


乾杯…阿部 源祐さん

阿部 源祐さんと千葉 則茂さん


   「第3回卒業生・修了生と学長との懇談会」 2010年8月7日(土) ホテルサンルート仙台


   2010年度電気電子情報科会総会・・・2010年6月12日(土)いわて国保会館(盛岡)

乾杯:阿部源祐氏


   2010年度一祐会定期総会 2010年5月15日(土) エスポワールいわて(盛岡)

総会開始前の電気電子情報科会役員のスナップ 左から阿部源祐氏、小野寺瑞穂氏、籏福 寛氏


各学科長の先生のご挨拶…左から山口勉功マテリアル工学科学科長、井山俊郎機械システム工学科学科長、話しているのは応用化学・生命工学科大石好行学科長、
南 正昭社会環境工学科学科長、金型・鋳造工学専攻長の廣瀬宏一教授、右端はデザイン・メディア工学専攻の千葉則茂教授、右下:阿部源祐さん



   2010年電気電子情報科会新会員歓迎会 2010年3月8日(月);岩手大学工学部生協食堂
高専第一回卒の阿部さんからの乾杯のご発声として以下のように科会発足当時のご紹介がありました

最年長 阿部源祐相談役

 若干お時間をいただいたので、この会の発足当時の模様とそれからの歩みを少しお話をして、皆さんの今後のこの科会の活動の原点に立っていただきたいと思う。
 私たち高専の第一回生は、いわゆる大戦が始まった昭和16年の12月に3ヶ月短縮して卒業をすることになった。12月26日の年末ぎりぎりに卒業して、すぐ戦地に行った者もいて、そのとき電気科の科長の草刈先生が、”こういうふうに一緒に育った君たちが、ばらばらになるのは忍びない、なんとか同窓会でなくてもいいから、会を作って活動したらどうだ”、といわれて、私たち2、3人で発起人になり、会則を作りスタートすることになった。
 当時、学校当局に相談したところ、同窓会も何もつくる準備もない、いまは同窓会を作らない、とのことで、やむなく電気科だけ作ろうということになり、会則等を準備した。さらにどうせやるなら盛大に発会式をやろうじゃないかということになり、当時、湯田温泉に行って一晩英気を養って出発しようじゃないかと、積立をはじめていた。
 ところが残念ながら、戦争が勃発したので、やはり私たちも当時若気の至りで戦争には協力しようと発会式をやめ、陸軍と海軍に80円ずつ計160円を積立していたお金をそっくり献金して、発会式をやめ、謝恩会のみ盛岡市内で実施した。
 そういうスタートを切ることになったが、一番の問題は、草刈先生は、卒業生だけの会ではいかんと、やはり当時学生と卒業生を一体にした会を作ってくれと、そしてお互いに切磋琢磨してやろうじゃないかと。卒業生だけだと、だんだん歳をとって年寄りの考えになる、と。

 学校当局に交渉したけれども、残念ながら文部省通達で、当時は現在の部活のような、報国団という団体があり、武道とか音楽とか。それ以外に学生は加入してはならんときついお達しがあり、やむなく卒業生35人それから先生が5人でスタートした。年会費ではなく終身会費5円でスタート。
 しかしながら、学生とのつながりは保とうということで、機関誌を出して学生に配布し、何とか学生と卒業生の間を保とうと努力してきた。
 そういうことで発足して、戦争中でありましたが、機関誌を毎年2号ずつ5号まで出してきたものの、戦争の激化によってとうとう6号以下をしばらく休刊せざるを得なかったという事情がある。
 そして終戦後、草刈先生はいち早く会の復活を命令された。何とか会誌6号を出し、新しいスタートをきる。そのときに学生と卒業生一体の会則を作ったが、その後、学生は準会員ということにならざるを得なく現在の規約となる。
 今も私はやはり、学生の方々とともに会を作り、役員を出して一体となって、有効な行事などをやっていかないと、高齢者のみになってしまうと心配している。
 皆さんも今後この会を活性化する方法を良く考えて、末永くこの会の発展を期していただきたいと思う。
 最後に卒業予定の方々、草刈賞受賞予定の方々、おめでとうございます。祝意を述べさせていただき、今後の科会の発展を願って乾杯のご挨拶にします。


   2009年度電気電子情報科会第3回理事会(新年会)は2010年1月23日(土)いわて国保会館(盛岡)

後列左より、長田 洋理事・事務局(S62気35)、木村彰男理事・事務局(H3情13)、籏福 寛理事・盛岡支部長(S38気11)、鳥谷部達雄副会長(S56情3)、小野寺瑞穂理事(S29気2)、及川二千朗会計監査(S38気11)、武田寿郎さん(S41気14)、吉田英夫さん(S41気14)、佐藤 信幹事(S57子13)、杉本 務さん(S33気6)、南幅留男副会長(S45子1)、柳橋好子理事・事務局(S45子1)

前列左より、齋藤 健理事・仙台支部長(S38気11)、澤藤隆一理事・東京支部長(S47気20)、佐々木喜八郎相談役(元会長S28気1)、道上修先生、柏葉安兵衛会長(S38気11)、久保田賢二会計監査(S42気15)、阿部源祐相談役(元会長S16専1)、太田原 功相談役(元会長S30気3)、山崎時男さん(S24専8)・・・役職はいずれも当時

 
乾杯は阿部源祐相談役
 

2009年度電気電子情報科会総会は2009年6月27日(土)ハーネル仙台で行われましたが、阿部源祐さんは欠席でした


   岩手大学創立60周年記念式典・・・2009年6月13日(土)

岩手大学正門に創立60周年記念事業の看板が・・・

阿部源祐さんと斉藤健さんの仙台組

   2009年度一祐会総会・・・2009年5月16日(土)サンセール盛岡
中央写真・・・藤井克己学長、最長老阿部源祐氏、堺 茂樹工学部長(のち学長)、お三方とも、もう会えないことがとても残念です

講演会前の光景・・・前列左端:阿部源祐氏


阿部源祐氏ひとり飲む


   2009年電気電子情報科会新会員歓迎会は2009年3月10日(火) 岩手大学工学部生協食堂
 


   2008年度電気電子情報科会第3回理事会(新年会)は2009年1月24日(土)いわて国保会館(盛岡)

後列左より、佐藤 匡さん(S40気13)、吉田英夫さん(S41気14)、岡 英夫幹事(S48子修)、久保田賢二会計監査(S42気15)、千葉則茂副会長(S50気23)、南幅留男副会長(S45子1)、木村彰男理事・事務局(H3情13)、長田 洋理事・事務局(S62気35)、鳥谷部達雄副会長(S56情3)
中列左より、柳橋好子理事・事務局(S45子1)、佐藤 信幹事(S57子13)、小野寺瑞穂理事(S29気2)、宮手敏雄幹事(S44気17)、籏福 寛理事・盛岡支部長(S38気11)、歳弘 健理事(S33気6)、杉本 務さん(S33気6)、立花龍一理事(S61情8)、大坊真洋さん(H11電情博)

前列左より、澤藤隆一理事・東京支部長(S47気20)、齋藤 健理事・仙台支部長(S38気11)、太田原 功相談役(元会長S30気3)、佐々木喜八郎理事(S28気1)、阿部源祐相談役(元会長S16専1)、柏葉安兵衛会長(S38気11)、細川哲男相談役(元会長S24専8)、大田圭一さん(S24専8)・・・役職はいずれも当時


阿部源祐最長老の乾杯


   太田原 功先生瑞宝中綬章受勲祝賀会・・・2008年10月4日(土) ホテルメトロポリタン盛岡ニューウィング





   2008年電気電子情報科会新会員歓迎会は2008年3月10日(月) 岩手大学生協中央食堂

乾杯挨拶は阿部源祐相談役


   2007年電気電子情報科会新会員歓迎会は2007年3月14日(水) 盛岡市第一ホテル

新会員を歓迎する阿部源祐相談役は卆寿にしてこの姿勢

左から久保田 賢二さん、歳弘 健盛岡支部長、阿部源祐相談役


   2006年度電気電子情報科会総会は2006年6月10日(土) アルカディア市ヶ谷
総会リポート

参加者多数のため、2回に分けて撮影、上は2分の1

2次会(田吾作) 歓談する手前の佐々木喜八郎会長と天坂 博氏(S34) 右列:阿部源祐氏、太田原 功氏、武田謙太朗氏・・・

左列:畠山 寧氏、横澤篤史氏、山田順一氏、下田喜美雄氏、徳山隆久氏、加瀬貞二氏、飛世政和氏



   2005年度電気電子情報科会総会・・・2005年6月11日(土)いわて国保会館(盛岡)

4列目 遠藤 雄大、井上 隆志、佐藤 匡、籏福 寛、佐々木 經夫、杉本 務、武田 寿郎、木村 彰男

          H17電電   S40気13  S40気13  S38気11       特         S33気6   S41気14    H3情13

3列目 神 隆範、岡 英夫、柏葉 安兵衛、南幅 留男、長岐 芳郎、齋藤弘、岡本 康之、小笠原 義照、佐藤 信、立花 龍一

          H17電電  S48子院4   S38気11    S45子14    S34気7     S34気7    S38気11     S22専6     S57子13   S61情8

2列目 長田 洋、照井 武彦、菊池 昭雄、森川 孝之、千葉 智行、田山 典男、太田 圭一、歳弘 健、澤藤 隆一、柳橋 好子

         S62気35    元教官    S29気2     S28気1      S28気1     S41気14    S24専8    S33気6   S47気20   S45子1

1列目 田中 博、佐々木 喜八郎、小沢 甚一郎、佐藤 淳、道上 修、阿部 源祐、高木 三郎、細川 哲男

           元職員      S28気1            S18専3         特         来賓      S16専1     S17専2     S24専8 

長老と紅一点

長寿と元気の秘訣は同窓会活動に参加することだよと話している

締めは細川 哲男相談役(S24専8) その右:仙台支部のお二人、千葉 智行氏と阿部源祐氏(S16専1) お三方とも懐かしいですね



   阿部源祐会員の米寿を祝う会・・・2005年4月3日(土) 仙台市ホテル法華クラブ

後列左から石川 良雄、神 次郎、小原 典、齋藤 健(科会仙台支部長)、野坂 武弘、金田 博臣

五嶋 達雄、千葉 智行(前仙台支部長)、鈴木 辰三(一祐会仙台支部長)、千葉 浩克、小原 四郎、柏葉 安宏
伊藤 彰八、太田原 功(前会長)、阿部 源祐(主賓)、佐々木 喜八郎(会長)、佐伯 善雄、澤藤 隆一、村井 栄三

(敬称略)ピンボケですみません

記念品贈呈は柏葉 安宏氏から阿部 源祐氏へ



   2005年電気電子情報科会新会員歓迎会は2005年3月10日(木) 盛岡市第一ホテル

阿部 源祐相談役の乾杯挨拶

左より澤藤 隆一理事・東京支部長、齋藤 健理事・仙台支部長、阿部 源祐相談役、太田原 功相談役、小沢甚一郎相談役・・・役職はいずれも当時



   2004年電気電子情報科会東京支部大会・・・2004年10月2日(土) 東海大学校友会館(霞ヶ関ビル33F)
講演「草刈先生ご生誕100年記念事業を終えて」 講師:阿部源祐氏(専1・S16)
昭和14年盛岡高等工業学校に赴任され、昭和24年岩手大学工学部となってから2度目の工学部長時代の昭和43年7月5日ご逝去されるまで、文字通り電気系の産み育ての親であった故草刈 遜先生のご生誕(1904年1月3日)100年目にあたる2003年6月27日、岩手大学工学部1号館玄関ホールに設置された草刈先生の胸像の除幕式と贈呈式、翌々日仙台市で行われた輪王寺での追悼供養、会場を仙台駅前のホテルメトロポリタンに移して草刈先生の思い出を語る会が行われた。有志がお金を出し合って行われたこの記念事業の実行委員長であった阿部源祐氏に仙台からお越し頂いてその模様を報告頂きました

最長老の阿部源祐氏と冨士 岳氏(S16専1)

身を正す阿部源祐氏(S16)

阿部源祐氏(S16)、山田 均副支部長(S47)、冨士 岳氏(S16)、山内利明副支部長(S55)
2004年〜2014年の長きにわたり東京支部副支部長を務められた山内利明氏は

青森県出身でパナソニックの要職を勤められましたが2014年12月享年58歳の若さで病没されました


   2004年度一祐会総会・・・2004年5月15日(土)ハーネル仙台

挨拶する関本善則一祐会会長

総会風景・・・渡邊 喬事務局長が説明しています


中央座っているのは佐藤利三郎氏(電気16年)

歓談する千葉智行氏(電気28年)や阿部源祐氏(電気16年)



   2004年度電気電子情報科会第3回理事会(新年会)は2005年1月22日(土)いわて国保会館(盛岡)

後列左より、長田 洋理事・事務局、関 享士郎理事、柏葉 安兵衛副会長、柳橋 好子理事・事務局、南幅 留男副会長、細川 哲男相談役(元会長)、鳥谷部 達雄副会長、小野寺 瑞穂理事、井上 隆志理事、千葉 則茂理事

前列左より、澤藤 隆一理事・東京支部長、齋藤 健理事・仙台支部長、太田原 功相談役(元会長)、佐々木 喜八郎会長、歳弘 健理事理事・盛岡支部長、阿部 源祐相談役(元会長)・・・役職はいずれも当時



   2004年度電気電子情報科会第1回理事会 2004年6月12日(土)いわて国保会館(盛岡)

左から千葉則茂氏、小野寺瑞穂氏、千葉智行氏、細川哲男氏、阿部源祐氏、太田原会長


   草刈先生ご生誕100年記念胸像除幕式と贈呈式・・・2003年6月27日(金)岩手大学工学部1号館玄関ホール

ひ孫さんによる胸像除幕


草刈遜先生の胸像・・・工学部1号館玄関ホール
  胸像建立委員長…佐藤利三郎先生



胸像を寄贈下さいました佐藤利三郎
先生が草刈遜先生の思い出をつづる
一文は  コチラを参照ください

   輪王寺での追悼供養・・・2003年6月29日(日)


追悼供養の集合写真

追悼供養(輪王寺

   2003年度電気電子情報科会総会、草刈先生の思い出を語る会、懇親会・・・2003年6月29日(日)

懇親会にて・左から電気16年組の阿部 源祐 さんと富士 岳 さん、寺井正行東京支部長



   一祐会創立60周年記念式典・・・2002年9月21日(土) ホテルメトロポリタン盛岡ニューウィング

寺井正行東京支部長、電気16年組の阿部 源祐 さんと富士 岳 さん


   2001年度電気電子情報科会第4回理事会 2002年5月18日(土)レストラン多賀(盛岡)

左より阿部 源祐(S16専1)、小澤 甚一郎(S18専3)、細川 哲男(S16専1)の各相談役揃い踏み、最右は柏葉安兵衛事務局理事(S38気11)・・・いずれも役職当時

2002年以降の写真を掲載しましたが、多くの方が黄泉の国のひととなりました
科会活動へのご貢献に深謝します

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